RMO2周年ライブも終わり、しばらくセカンドライフでの活動は休止します。
(休止でもそうでない時でも、あまりペースは変わりませんが・・・)
このブログも更新頻度が低いので、リアル・マツケンのことを音楽面を中心にしばらく書いていこうかと思います。
1回目は、小さいころのお話。
昭和の40年代、宮崎県の小さな町のレコード店(当時は電気店)に生まれました。
もの心ついた頃は「ひょっこりひょうたん島」が好きだったようです。
幼稚園時代にヤマハ音楽教室・幼児科に通い鍵盤を弾いたり、リズムで遊んだりしました。
小学校に上がったくらいにアニメのサンプル盤をもらい聴いてました。
安いけどLUXMANのアンプとJBLのスピーカーで、店にならんでいるステレオ(いわゆる家具調)とはなんとなく音の違いを感じていました。
ヤマハの音楽教室を卒業した後に、親にピアノを習う?と聞かれ、エレクトーンの方が良いと言って、個人の先生のところでエレクトーンを習い始めました。
ピアノは鍵盤が重いのが苦手だったし、エレクトーンはいろんな音が出るのがおもしろそうだったという理由です。
ちなみに買ってもらったのは東芝のエレクトーン、KAWAIのOEM版でした。
サスティーンが無くて、リバーブとトレモロくらいしかエフェクトなかったです。
いわゆるACETONEぽいリズムボックスが良い音でした。
エレクトーンは結構さぼったり、ゆっくりやっていたのでYAMAHA本の3冊程度の初級レベル止まりです。
アニメとかSFなどが好きでシンセサイザーの音は興味があったのですが、TVで冨田勲さんがMOOGを弄っているのを見て、さらにシンセに惹かれるようになっていきます。
「展覧会の絵」が好きでした。
「冨田勲の世界(1977年)」という制作過程を収めたレコードで音作りにも興味を持ちます。
「キッコッコッコ」という所謂ドンカマもこの時に初めて聞きました。
(このドンカマを後のYMOへ松武さんが引き継いで行くんですね)
学校では合唱部でボーイソプラノを担当、6年の時には合奏部で小太鼓をやりました。
小学生時代はこんな感じで、田舎でゆったりと遊んでいました。
高学年のころにザ・ベストテンが始まり、教室での話題についていくために欠かせない感じでした。(…続く。。。。かも)